後藤健二さんの悲報に胸が潰れそうな思いです。どうしてこんな惨いことが起きるのでしょう。命を取引し、道具のように扱う残虐さ…憤りを隠せません。今はただ、後藤さんのご冥福を祈るばかりですが、後藤さんや湯川さんの死をこのままで終わらせないために、考え、祈りたいと思います。私はクリスチャンになる以前、教会に足を運びながらも“祈り”のもたらす意味、重さ、それがどう生活や人生に関わるか、深く理解できないでいました。しかし、最近は“祈り”という行動がどういうことか、実感を伴って分かるようになりました。祈りはとても深く能動的な行為、そう思います。